ニュースレター

2011年 11月 19日発行
前回の本欄で「知的好奇心とは、生きるために直接は
必要ではないことに疑問を持ち、その疑問を解明しようとする気持ちである」と申し上げた。

たとえば、「もし地球の自転の速度が今よりも早くなったらどんなことが起きるか」。

大人が子供に、日常生活のなかで何気なくそういう話題を投げかける。
すると「そもそも自転って何?」「地球って回っているの?」など子供は
いろいろな疑問を持つだろう。
それを一つ一つ一緒になって楽しみながら解明していく。
食卓にあるりんごを手に取り、それを、へたを軸にして半時計まわりに回転させる。
こんな風に地球はおよそ1日に1回転している。
それを自転というんだ。さらに食卓にあったみかんを手に取り、太陽に見立てる。
地球は自転をしているからこそ朝が来て夜が来るんだよ。

もしその自転のスピードが速くなったら・・・、一日が短くなる!
自転のスピードが2倍になったら、1日が12時間で終わることになる!!
だったら、待ちきれないでいたクリスマスプレゼントを早くもらえるようになる!
いや、でも1日が短くなるということは早く歳を取ってしまうのかな?
それはいやだわ、とお母さん。

逆に自転のスピードが遅くなれば、一日が長くなり、歳をとるのが遅くなる。
それって、長生きできるってこと?子供の疑問は(あるいは大人の疑問も)どんどん膨らむ。
こうした会話は、子供たちに「身の回りのことに知的な疑問を持って考える」習慣をつける。
実は、この習慣こそが学習の基本なのだ。
実際、「地球の自転の速度が速くなったらどうなるか」が分かっても
生活に直接役にはたたない。
しかし、それによって身についた「物事の捉え方、考え方」こそが大事なのであって
学齢期になったときにそれが身についていない状態で勉強をさせても
子供たちの「車輪」は回らない。

「そんなこと考えても利益にならない」
「別に今日の生活に関係ないから興味ない」

という風潮は、せっかくの子供たちの知的好奇心の芽を摘んでしまうもとになる。
まずは私たち大人が知的好奇心を持つことが大事だ。
(小口)